【RESPECT】十割蕎麦ひとすじ45年──蕎麦職人堀江克成さんが守る伝統と進化

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-食いしん坊少年の夢、江戸の老舗での修業、そして地元足利へ-

「最初は寿司か蕎麦職人になりたかったんだよね(笑)」そう語るのは、「並木藪蕎麦 堀江店」の店主、堀江克成さん。

子どもの頃から食べることが大好きで、「ほんと食いしん坊だったよ」とにっこり微笑む。特に、母親が自宅で打ってくれた蕎麦の味が忘れられないという。
そんな食への探究心は、高校卒業後の進路にも大きく影響を与えた。

「母親のように、美味しい蕎麦を作りたい。そして、たくさんの人に喜んでもらいたい」

そう決意した堀江さんは、蕎麦職人の道を志すことに。
ちょうどその頃、東京の名店寿司屋のご主人から「私の知り合いで、浅草の『並木藪蕎麦』という素晴らしいお店がある。そこで修業するといいよ」と紹介を受けた。

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話はとんとん拍子に進み、江戸の蕎麦屋の老舗であり、「藪蕎麦御三家」の一つに数えられる「浅草並木藪蕎麦」へ。
そこで2代目堀田平七郎のもと、本格的な修業がスタート。

-江戸の老舗での6年半、厳しさの中に学びあり-

浅草並木藪蕎麦2代目 堀田平七郎さん

「とにかく修業は厳しかった。旦那さん(堀田)が怖かったね。でも、厳しいからこそ、しっかり学べると思ったんだ。」(堀江さん)

修業時代の堀江さん

最初に任されたのは膳立て(膳の上に食器や料理を並べること)。そこから少しずつ、さまざまな工程を担当し、気づけば6年半の歳月が流れていた。通常、修業は3年ほどと言われていたが、「堀田のすべてを学びたい」との思いで、自ら志願して修業を続けたという。

-足利での挑戦、味の違いに直面-

24歳で地元・足利に戻り、「藪蕎麦堀江店」を開業。

東京で学んだ十割蕎麦を提供すると、お客様から「少し味が濃い」との声が…。
江戸前の味付けが、足利の食文化にはなじまなかった。
実際、浅草並木では、ダシに対してかえしの割合が8割ほどと、かなり濃い味付けだったという。

悩んだ堀江さんは、師匠のもとへ相談に行く。

「悩んでいい。修業したことを思い出し、今の自分としっかり向き合いなさい。地元の皆さんに愛されるお店作りをするんだよ」と助言。
「師匠の言葉はうれしかった」と当時を振り返る。堀江さんの目には、師匠からの教えが今も鮮明に焼き付いている。

師匠の言葉に背中を押され、堀江は試行錯誤を重ね、地元の人々に合う味を追求。並木で学んだ十割蕎麦に、足利の人々に愛されるつけ汁を組み合わせ、ついに理想の味を完成させた。

-創業45年、地元に愛され続ける味-

こうして生まれた「並木藪蕎麦 堀江店」は、今年で創業45年。今では、地元の人々に愛される足利の名店となった。

「地元の皆さんに愛されるお店」

それこそが、堀江さんが守り続ける信念であり、これからも変わらぬ味と想いを届け続ける。

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