
「子どもの頃からクラシックやオペラ歌手を目指していた訳ではありません。ただ、歌うのは好きでしたね。」
穏やかに、しかしはっきりと語るのは、声楽家・ソプラノ歌手の浅野幸恵さん。
取材の中で交わされた一言一言には、音楽と真剣に向き合ってきた年月の重みと、実直な姿勢が伝わってくる。

子どもの頃、家族でよくテレビの歌番組を見ていた。
画面の中で歌う人たちを見ながら、「いつか自分もあの番組で歌ってみたい」。
そんな憧れが自然と心に芽生えていた。
小学5年生のとき、足利少年少女合唱団のテストに合格し入団。気がつけば、歌の道へと踏み出していた。
漠然とだが、「ずっと歌っていたい」という思いは、いつも胸の奥にあったという。
進学に際しては、家庭の事情という大きな壁が立ちはだかった。
姉や兄も希望通りの進学はかなわなかった中で、2人は浅野さんにこう言ってくれた。
「幸恵には、自分の気持ちに正直に、やりたいことをやってほしい」と。
その言葉に背中を押され、「あまり家族に負担をかけたくない」という現実的な基準で進路を選び、洗足学園音楽大学へ進学した。

入学後、寮で暮らす中、周囲の同級生たちの熱意に触れ、やがて「自分も舞台に立ちたい」と思うようになっていった。
大学2年生の時に、フランスオペラ研究会での経験が転機となり、「オペラをやりたい」と強く思うようになった。
成績は優秀で、大学4年のときには学内の選抜演奏会にも出演したという。
「当時、歌の指導を受けた先生が、声楽家・藤原義江さんと一緒に仕事をしていた方でした。そんなご縁もあり、藤原歌劇団に研究生として入所。2年間学んだあと、準団員になる事ができました。今も正団員として席を置いています。」と振り返る。
大学卒業後は新人演奏会オーディションに合格し、プロとしての道を歩み始めた。
しかし、ソプラノの世界は競争が激しく、そこには厳しい現実もあった。
それでも、音楽劇やミュージカルなど表現の場を広げ、20代後半には作曲家・三木稔さん主宰『うたよみ座(歌座)』のミュージカルオペラ「うたよみざる」等に出演。
声楽家・バリトン歌手の友竹正則さんらと共演する機会にも恵まれた。

その後、結婚と家族の事情で東京を離れ、地元に戻ることに。
音楽活動を続けながら、生活のために介護の資格を取得。
小学校の学びの指導員や高校の音楽教員など、さまざまな仕事にも取り組んだ。
「人生、何が役に立つか分からない」と笑うその姿には、しなやかに生きる力がにじんでいる。
現在は、個人レッスンや合唱団の指導を中心に、年に数回のコンサートも実施。主な公演には、ヴェガオペラコンサート、ソプラノ246によるコンサート、そしてオリジナル台本と構成による「七夕ものがたり」「竹取物語」「クリスマスコンサート」などがある。
子どもたちだけでなく、音楽やコンサートにあまり興味のない一般の方々にも、その魅力を届けたいという思いで活動を続けている。
「音楽で生きていくのは簡単じゃない。でも、歌うことが好き。」その気持ちだけは今も変わらないという。
迷い、立ち止まり、時に遠回りしながらも、歌うことだけは、いつも心の真ん中にあった。
その声は、これからも誰かの心に届いていく。
静かに、力強く、そしてやさしく。