
小学生の頃、土曜のお昼が楽しみでした。母が買ってきてくれたパン屋さんの菓子パンや惣菜パンが本当に美味しくて、毎週その時間を心待ちにしていました。
「その味は今でも忘れられません」と優しく笑うのは、足利市の人気店「ブーランジェリーパルク」の店主・多奈村洋一さん。
初めて自分の手でパンを作ったのは小学生のとき。家庭科の授業で挑戦したバターロール作りだった。
難しかったが、思ったより上手くできて、パン作りの楽しさを感じたという。もともと手先が器用で、絵を描いたりプラモデルを作ったりと、ものづくりが好きな少年だった。
その一方で、もう一つ夢中になったのがバレーボール。高校卒業後は社会人クラブチームに所属し、全国大会で準優勝するなどチームとしては結果を残したが、自分はなかなか試合に出られず、思うような成果を出せなかった。
生活のためにアルバイトも掛け持ちし、肉屋やコンビニなどさまざまな仕事を経験。長く続いたのは神戸屋レストランのアルバイトだった。朝が早く、練習時間を確保できたことに加え、パン作り、接客の仕事も好きだったという。
それでも、期待したような結果が出ない日々が続き、25歳のときにバレーボールから離れる決意をした。
「親に迷惑をかけたくなかったし、小さい頃母が買ってきてくれたパンの思い出がずっと心に残っていました。自然とパンの道を選んでいましたね」と振り返る。
神戸屋での経験を自信に、東京・二子玉川の人気店「ブーランジェリー・ブルディガラ」で働き始めたが、待っていたのは想像を超える厳しい現場だった。
職人気質の先輩たちの中で、何もできない自分を痛感し退職を決意。だが、当時の統括シェフから「いろんな人がいるけど、パンだけは好きでいてほしい」と声を掛けられ、その言葉に救われたという。
一度立ち止まり、自分を見つめ直す時間を経て、再び神戸屋レストランへ戻った。
そこでの仕事は楽しく、職場の雰囲気も温かかった。毎年行われた神戸屋主催の社内バレーボール大会にも出場するなど、笑顔があふれる毎日だったという。

その後、神戸屋レストラン浜田山店の上司から声をかけられ、レストラン併設の店舗に異動。忙しいながらも自由に仕事を任され、パン作りへの情熱をさらに深めていった。
2年間勤めたのち、27歳で社員となり、都内の店舗を渡り歩きながら技術を磨いた。
35歳のとき、奥様の後押しもあり独立を決意。奥様の地元・足利へ移り、「ブーランジェリーパルク」をオープンした。
「妻や義父、地元の皆さんに本当に助けられました。おかげさまで13年を迎えることができました」と感謝の言葉を口にする。
「オープン当時は体力も気力も十分でした。今は少し衰えを感じることもありますが、これからも足利の皆さんに寄り添うお店でありたいと思っています。」
また、息子さんも来年から社会人として、代々木上原のベーカリーに就職が決まったという。
「同じパン職人の道を歩むのか、そっと見守りながら応援したいですね。」
パンの香りとともに歩んできた半生。多奈村さんの笑顔には、職人としての誇りと、支えてくれた人々への深い感謝が滲んでいた。





























