【RESPECT】伝統と革新の架け橋-野口雅宝さんが紡ぐ未来

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幼い頃から父・野口幸三郎さんの仕事ぶりを見て育ち、デザインや伝統工芸に興味を持ったという「本金彩工房 粋宝苑」代表の野口雅宝さん(本名:野口晶彦)。今回は、野口さんの伝統工芸士としての歩みをご紹介します。

野口雅宝さんは、将来、父が創業した「友禅型紙工房」に入社し、手伝いたいという思いから、足利工業高校の色染化学科に進学。繊維やデザインについて学んだ。

しかし、卒業後すぐに父の工房へ入るのではなく、まずは経験を積もうと決意。着物の産地である新潟県十日町市の着物デザイン会社で約4年間、デザインの修行を積む。

修行中には、雅宝さんが描いたデザイン画よく売れ、喜びを感じることもありました。しかし、後に知ったのは、それらを購入していたのが父・幸三郎さんの友人や知人の着物メーカーの社長たちだったという事実。

「若かったこともあり、ちょっと天狗になっていましたが、その事実を知って見事に打ち砕かれました(笑)。でも、その経験があったからこそ、父の会社に入社した時は、ひたむきに勉強しましたね。」(野口さん)

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時代の流れとともに繊維業の仕事が減少する中、1989年に「本金彩工房 粋宝苑」を創業。本格的に本金箔屏風の制作を始めまる。

「父は独創性があり、網戸への絵付けやTシャツに簡単に絵を描ける『染めっこ』という印刷機を発明しました。どちらの発明も、とても好評だったのですが、発注数や商品化までに手間暇が掛かるため、泣く泣く諦めることに。金彩屏風作りも、父のアイデアの一つでした。」(野口さん)

本金箔屏風制作が順調に進む中、さらなる販路を求め東京へ。そこで、人形屏風を販売していた片岡屏風店に相談、その後、節句人形の屏風制作を依頼されること。

「当時、人形の金彩屏風作りは私一人で行い、父と従業員の皆さんは着物の型紙と金彩友禅を作っていました。数年後、当社の金彩屏風の評判が全国に広がり、問い合わせが殺到。業績も上がり、少しずつ金彩屏風専門の工房へと変わっていきました。」(野口さん)

そして2015年、粋宝苑の二代目社長に就任。節句業界のみならず、新たな市場開拓にも取り組んでいる。

「父は本当にアイデアマンで、挑戦者でした。私は父のようにはなれませんが、工芸技術をさらに磨き、お客様に喜んでいただけるものを作り続けたいですね。数年前から娘が仕事を手伝ってくれるようになり、彼女の発案で金彩御朱印帳や屏風絵など、新しい商品も手がけるようになりました。私の技術を娘に継承し、彼女ならではの発想で、これからの伝統工芸士になってくれたらうれしいですね。」(野口さん)

伝統を守りつつ、新たな挑戦を続ける野口雅宝さん。これからの活躍も注目される。

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